【死と再生の物語】人生は変わらない、死んで生き返らなければ…
ヘ・ス=コ・ハジンがなぜ高麗にやってきたのかをずっと考えています。
偶然なんてものはこの世、ましてはフィクションの世界には存在せず、すべては必然。
では、誰の意図でス=ハジンは高麗にやってきたのか?
ジモン?
日蝕(太陽と月)?
神さま、仏さま?
はたまた
ワン・ソさま?
ハジンは信じていれば人は変わらないと言います。その結果、現代では信じていた人に裏切られ、ズタボロ。自分の人生から逃げたいと思っています。
1000年くらい眠っていたい…
そんなハジンの願いが叶ってなのか、1000年前の高麗へタイムスリップします。
「死んで生き返らないと人生は変わらない」
ジモンの言葉通り、一度、スは死ぬことで…(溺れて死んだとわたしは認識しています)
「死生観」という言葉があります。
あれは、行きているから死ぬのではありません。
死んで初めて生き返る。死を通じて生を知ることなのです。
裏切られて「人を信じたくない/信じられない」はずのハジン=スですが、高麗では人を信じることでしか、生きて行く道はない。これがこの作品の面白さであり、醍醐味であるとわたしは感じます。
ウクの差し出す手を握り、魂の入れ物である靴を履き(ブログ【アイテム考察〜靴】より)、ウクとミョン夫妻の庇護下に入る。守られる存在になります。
二人を信じることでしか、高麗では生きる方法がないのです(同じ兄弟でも、ヨやウォンの家でなくて本当によかった…)
一方で、ソも一度死にます。
そう雨乞いの儀式。
この物語で雨乞いは「ソの死」として描かれているとわたしは考察します。
白装束、白い輿に乗り、甕が割れる。
死化粧、雨…
雨は穢れを流し、浄化と再生を意味しています。
ソは前の人生で被っていた仮面を脱ぎ、スの前で素顔(生まれたままの姿)になることで、一度、死にます。
そして、スを信じることで生き返る。
化粧という新しい仮面を被って、皇子として皇帝への人生を歩みはじめます。
自分と相手を信じることで違う人生を手にする術を、スはソに教えたのです。
けれどラストで二人はお互いを信じきることができなかった。
これはチェリョンの裏切りが大きかったのだとわたしは思います(もちろん他の要素も複雑に絡んできてはいますが…)
チェリョンはハジン=スが高麗で最初に信じた人。なのに、大きな秘密があった。
最後までチェリョンを信じた(信じたかった)スと、疑うことしかできなかった(これは仕方がない)ソ。
お互いの溝を埋めるためには、スがまた死ぬしかなかったのです。
スは自らの望み通りすべてを忘れ、死ぬことで現代のハジンとして穏やかな人生を手に入れます。同僚に恵まれ、住むところにも困っていません。
それでは、残されたソは…?
「狼が日蝕に追いつくと世界は滅びる…」
(ブログ【昭so】と【樹soo】より)
死を迎えることで、果たして新しい人生を手に入れることができるのでしょうか?
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一カ月以上、ブログを放置してしまい申し訳ありません。
少しずつですが、今年も更新して参ります。
どうぞよろしくお願い致します。ありがとうございます♪